毎日更新第1弾!!

さあっ!

いよいよ五月祭まであと20日を切りました!

現在ウリサポスタッフはイベント成功のために全力で突っ走っておりますが!

この特設ブログでもそれに負けじと!今日から五月祭当日までの間!

 

「毎日更新!」

 

を実施します!

 

「あなたの隣のウリハッキョ」と「東日本大震災と東北朝鮮学校」の両企画を120%満喫するためのホットな最新情報を最速デリバリー!!

 

これは見逃せませんねっ!♪

 

と、いうわけで第一弾更新は基礎知識の確認から。

 

皆さん、テレビのニュースや新聞では目にすることがあっても、実際に朝鮮学校がどうして日本にあるかと考えると知らないこともあるんじゃないでしょうか。

 

朝鮮学校の始まりは、1945年8月の終戦間もない頃から始まります。

 

終戦によって日本の植民地支配から解放された在日コリアンは、植民地時代には許されなかった、自分たちの言葉や民族性を伝えるための教育を始めようと、日本の各地に「国語講習所」を建て始めました。

 

今の日本ではどこに行っても見つからないような、トタン板とむき出しの柱で作ったようなお粗末な講習所。朝鮮学校の歴史は、そんなボロボロの国語講習所から第一歩を踏み出したのです。

 

国語講習所から始まった朝鮮学校は、1946年の9月には早くも6年制の初級教育課程を備えることになり、同年10月からは中等教育の実施も始まるなど、急速な成長を遂げました。

 

教科書の編さん委員会もつくられ、1948年4月までの2年間に92点、100万部もの教科書と教材が作成されています(この教材作成には、日本人の教育関係者有志による大きな助けがありました)。

 

しかし、順調な発展を見せていった朝鮮学校に最初の試練が訪れます。

 

朝鮮人が自分たちで勝手な教育をしている」という事実に根拠のない不安と偏見を持った日本当局が、アメリカ占領軍(GHQ)と手を組んで朝鮮学校の閉鎖に動き出したのです。

 

朝鮮学校を守るために立ち上がった在日コリアンは、一致団結して日本当局とGHQに抵抗しました。とくに1948年4月24日に起こった4.24教育闘争での闘いは激しく、二万人もの在日コリアン大阪府庁前に結集したことに恐怖した日本警官隊の銃撃によって、当時16歳だった金太一少年が尊い命を落としました。

 

民族教育を守るための在日コリアンの願いと抵抗を見ても、日本政府は考えを改めることはありませんでした。逆にいっそう激しい弾圧に走ります。

 

そして1949年10月、朝連の強制解散の直後に「朝鮮人学校閉鎖令」が出され、全国的な広がりを見せていた朝鮮学校の成長の芽は、権力によって強引に踏み潰されてしまいました。

 

だけど朝鮮学校は一度や二度の困難ではめげません!

 

日本当局とGHQによって強引に解散させられた後も、民族教育をつないでいくための運動は粘り強く展開されていきました。「在日本朝鮮人総聯合会」(総連)の結成後、朝鮮学校は再び組織的に発展し、全国に初等部、中等部、高等部までの一貫した教育体系を備えた朝鮮学校が組織されます。

 

1956年には朝鮮大学校が創立され、1968年に学校法人の認可を獲得しました。その後も朝鮮学校の法的地位を確立するための運動は続き、1975年に山陰朝鮮初中級学校が認可を得たことで、日本に広がる全ての朝鮮学校が、民族教育を続けるための法的な正当性を勝ち取ることになったのです。

 

 

 ・・・・と、ここまでが朝鮮学校の成り立ちを理解するための簡単な歴史のおさらいです。

 

5月17日の東京大学五月祭では、そんな朝鮮学校の「今のすがた」を知るために、2つの学校に登場してもらいます。

 

1日目に登場するのは、ドキュメンタリー映画「ウリハッキョ」の舞台になった、北海道は札幌市の北海道朝鮮初中高級学校。

 

2日目に登場するのは、忘れもしない3.11の震災に直面した宮城県仙台市にある東北朝鮮初中高級学校です。

 

明日からはこの2つの学校について、もっとクローズアップして取り上げていきたいと思います。